新聞記事から
週末のTelegraph誌の記事から、
”I find solutions. I’m a fighter…”
1991年12月、コーネルは小さな廃材のような姿-両前腕がなく、右足は醜く曲がりくねっていた-で産まれた。彼をみた産みの母は悲鳴を上げ、とり上げたドクターはこの赤ん坊はまもなく死ぬと考えて出生証明書すら発行しなかった。母親はこの赤ん坊を拒否し、そのため彼は35マイル(約60km)も離れたルーマニアの人里離れた孤児施設に送られた。信じられないことに、コーネルは産まれてからここに到る長い道のりを生き抜き、施設に到着してようやく初めてのミルクを与えられた。
悪名高いルーマニアのチャウシェスク共産政権が崩壊した1989年、ルーマニア国内の10万を越える捨て子の惨状、とりわけ孤児院や障害者施設の非人道的惨状-ベットに縛り付けられ、人との触れないなどなく、食べ物もろくに与えられず、糞尿にまみれて死んでいく-が世界に伝えられた。
コーネルが産まれた1991年当時も状況はほとんど変わっておらず、彼もまた飾り気などない部屋のボロボロの冷たい金属製ベッドの上に、他にもたくさんいた望まれない、あるいは障害のために親に見捨てられた赤ん坊たちと一緒にぎゅうぎゅうに寝かされ、ミルクもろくに与えられず、死ぬのを待つばかりの状況に置かれた。
しかし、コーネルは必死に不潔なマットレスの上をのたうちまわり、体重を増やすのに必要なミルクを必死で求めた。7ヶ月になったころ、巡回していた医者が彼の聡明な目の輝きと元気さに注目し、たまたま施設を訪ねていたイギリス人女性ドーリーンにイギリスでの治療援助を申し出た。
ドーリーン・マンはイギリスの地方都市ウースター州に住む主婦で、地元の教会から他の5人の女性たちとともに食料や衣服を積んだトラックを運転してルーマニアに来ていたのだ。彼女はこの小さな赤ん坊のコーネルを見てあまりのかわいさに抱き上げたい衝動に駆られたが、医者から「この子はこのままでは長くは生きられない。イギリスで治療を受けさせて欲しい」と言われたときには途方に暮れた。
ドーリーンはイギリスに戻って、測量士の夫と何か自分たちにできることはないかと話し合い、地元の病院に交渉することにした。すると、なんととあるプライベート病院がコーネルの治療を無料で引き受けることを承諾した。そこからがまた大変だった。どうにかコーネルの実の母親の所在をつきとめ、彼をルーマニア国外に連れ出して治療を受けさせる許可を取り付けた。イギリスの病院では、どうしようもなく曲がりくねった右足の切断手術が行われた。
そんな中、マン夫妻のコーネルに対する愛情が膨らみ、どうにかしてこの子を養子として引き取りたいと思うようになったが、当時すでに二人とも50代で、他にも4人の娘がいたことから地元の養子縁組担当者からは反対にあった。しかし、根気強くコーネルの障害を説明し、ルーマニアでの彼の将来の希望はないことなどからようやく許可がおりた。コーネルが16ヶ月になった時のことだった。
(哺乳瓶を抱えている写真はマン夫妻の養子になった当時のもの)
その後のコーネルの成長ぶりは目を見張るばかりだった。
ドーリーンは回顧する。「彼はとてつもなく聡明な子供で、英語もすぐに話すようになり、一度聞いた物語や歌などの一語一句を覚えていました。」(2番目の写真)
6歳のときには、ルーマニアの障害児のための義肢援助を募るチャリティーのための自転車や水泳大会に出場した。またベースギターやドラムの演奏も学び、14歳のときにはドラム競技のイギリス大会で400人以上もの出場者の中から2位になった。またその頃、「コーネル ルーマニア障害者リハビリセンター」というチャリティー組織を立ち上げた。
地元ウースターでのシックス・フォーム・カレッジ(大学進学を目指す前の最後の2年間のこと。つまり、17-18歳)の間にオックスフォード大学の哲学科を見学し、一瞬にしてここが自分が勉強したいところだと直感した。3つの面接試験と、筆記試験をパスし、今年晴れてここの学生となった(最後の写真)。

話はまだ続くが、とにかく、月並みな感想だけれども、すごい話だなあ・・と感動した。
自分ではどうしようもできないこと、すなわち、国籍、性別、両親、もって産まれた容姿などの「宿命」を土台にして、自分で変えていく、あるいは他者からの善意・働きかけで変わることのできる「運命」とが彼の現在を輝かせている。
平等なのは、誰しも人生は一度きり、ということだ。
自分の人生はもちろん自己責任として、そして願わくば、さらに他者の人生、運命にもよい影響を与えられる(あるいはときに与えられることも必要だな)ような存在になれたらいいなあ、とそんなことをこの記事を読みながら考えた。
”I find solutions. I’m a fighter…”
1991年12月、コーネルは小さな廃材のような姿-両前腕がなく、右足は醜く曲がりくねっていた-で産まれた。彼をみた産みの母は悲鳴を上げ、とり上げたドクターはこの赤ん坊はまもなく死ぬと考えて出生証明書すら発行しなかった。母親はこの赤ん坊を拒否し、そのため彼は35マイル(約60km)も離れたルーマニアの人里離れた孤児施設に送られた。信じられないことに、コーネルは産まれてからここに到る長い道のりを生き抜き、施設に到着してようやく初めてのミルクを与えられた。
悪名高いルーマニアのチャウシェスク共産政権が崩壊した1989年、ルーマニア国内の10万を越える捨て子の惨状、とりわけ孤児院や障害者施設の非人道的惨状-ベットに縛り付けられ、人との触れないなどなく、食べ物もろくに与えられず、糞尿にまみれて死んでいく-が世界に伝えられた。
コーネルが産まれた1991年当時も状況はほとんど変わっておらず、彼もまた飾り気などない部屋のボロボロの冷たい金属製ベッドの上に、他にもたくさんいた望まれない、あるいは障害のために親に見捨てられた赤ん坊たちと一緒にぎゅうぎゅうに寝かされ、ミルクもろくに与えられず、死ぬのを待つばかりの状況に置かれた。
しかし、コーネルは必死に不潔なマットレスの上をのたうちまわり、体重を増やすのに必要なミルクを必死で求めた。7ヶ月になったころ、巡回していた医者が彼の聡明な目の輝きと元気さに注目し、たまたま施設を訪ねていたイギリス人女性ドーリーンにイギリスでの治療援助を申し出た。
ドーリーン・マンはイギリスの地方都市ウースター州に住む主婦で、地元の教会から他の5人の女性たちとともに食料や衣服を積んだトラックを運転してルーマニアに来ていたのだ。彼女はこの小さな赤ん坊のコーネルを見てあまりのかわいさに抱き上げたい衝動に駆られたが、医者から「この子はこのままでは長くは生きられない。イギリスで治療を受けさせて欲しい」と言われたときには途方に暮れた。

そんな中、マン夫妻のコーネルに対する愛情が膨らみ、どうにかしてこの子を養子として引き取りたいと思うようになったが、当時すでに二人とも50代で、他にも4人の娘がいたことから地元の養子縁組担当者からは反対にあった。しかし、根気強くコーネルの障害を説明し、ルーマニアでの彼の将来の希望はないことなどからようやく許可がおりた。コーネルが16ヶ月になった時のことだった。
(哺乳瓶を抱えている写真はマン夫妻の養子になった当時のもの)

ドーリーンは回顧する。「彼はとてつもなく聡明な子供で、英語もすぐに話すようになり、一度聞いた物語や歌などの一語一句を覚えていました。」(2番目の写真)
6歳のときには、ルーマニアの障害児のための義肢援助を募るチャリティーのための自転車や水泳大会に出場した。またベースギターやドラムの演奏も学び、14歳のときにはドラム競技のイギリス大会で400人以上もの出場者の中から2位になった。またその頃、「コーネル ルーマニア障害者リハビリセンター」というチャリティー組織を立ち上げた。
地元ウースターでのシックス・フォーム・カレッジ(大学進学を目指す前の最後の2年間のこと。つまり、17-18歳)の間にオックスフォード大学の哲学科を見学し、一瞬にしてここが自分が勉強したいところだと直感した。3つの面接試験と、筆記試験をパスし、今年晴れてここの学生となった(最後の写真)。

話はまだ続くが、とにかく、月並みな感想だけれども、すごい話だなあ・・と感動した。
自分ではどうしようもできないこと、すなわち、国籍、性別、両親、もって産まれた容姿などの「宿命」を土台にして、自分で変えていく、あるいは他者からの善意・働きかけで変わることのできる「運命」とが彼の現在を輝かせている。
平等なのは、誰しも人生は一度きり、ということだ。
自分の人生はもちろん自己責任として、そして願わくば、さらに他者の人生、運命にもよい影響を与えられる(あるいはときに与えられることも必要だな)ような存在になれたらいいなあ、とそんなことをこの記事を読みながら考えた。
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by marikology14
| 2010-11-15 21:15
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