My Sunshine & Little Stars わたしのタカラモノ in London

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雨の日に

今日は朝からザーザー降りの雨。
昨日戸棚を整理していて久しぶりに見つけたCD「葉っぱのフレディ」を聞いてみた。

原作はアメリカの哲学者レオ・バスカーリア博士で、「いのち」について子どもたちに書いた生涯でただ一冊の絵本。10年以上前に母が「これはいい」といって兄の子供に送っていたなあ。
かの有名な聖路加病院の日野原重明先生が脚本を書いたロングランミュージカルにもなっており、昨年にはNY公演を果たしたとかのニュースも聞いたような記憶がある。

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私が持っているCDは朗読が森繁久彌で、作曲・作詞は東儀秀樹というもの。改めて聞くとやっぱりすごくいい。キューピーbabyはもちろんまだ何にもわかっちゃいないが、おとなしく聞いていた。君はまだ生まれたばかりの葉っぱだからね!

葉っぱのフレディ

春はとっくに すぎました。 
 
夏もとうとう すぎました。
 
葉っぱのフレディは、 もうすっかり 大きくなっていました。

からだはつよくて たくましく、 五つにわかれた葉っぱのさきは、

ぴんととがって しゃんとしていました。
 
フレディが生まれたのは 春でした。 背高のっぽの大木の 
てっぺん近くの大ぶりの枝に かわいい新芽を のぞかせました。
 

フレディのまわりには、 数えきれないほど たくさんの葉っぱが 

しげっていました。

「みんな ぼくとそっくりだね」

そう思っていたフレディは、 まもなく 気づきました。

おなじ木から 生まれてきたのに、

みんなそれぞれ どこかが ちがっているのです。 

となりにいるのは アルフレッド。 右にいるのは ベン。 そして 上にいるのは 

かわいい葉っぱの クレアです。 
みんないっしょに 大きくなりました。 

春は そよ風にさそわれて みんなでダンスをおどり、

夏は おそろいで のんびり ひなたぼっこにふけり、

夕立がくると、 みんなでいっせいに からだを洗って、

すっきり しゃっきり さわやか気分で 涼みました。
 

けれども フレディのいちばんの仲よしは、

なんといっても ダニエルでした。 

みんながいる大枝の中で いちばん大柄(おおがら)なダニエルは、

どうやら 生まれたのも いちばん早くて、 

おまけに みんなの中では いちばんかしこそうでした。 

「みんなは 一本の木の 一部分なんだよ」

こう 教えてくれたのは ダニエルでした。

「みんなは 公園で大きくなっているんだよ」

そう教えてくれたのも ダニエルでした。

「みんながいる木には じょうぶな根っこが いっぱいはえていて

地面のおくふかくに しっかりとのばしているんだよ」

これもやはり ダニエルが 教えてくれたことでした。

朝になると みんなのいる枝にやってきて、 

せっせと歌をきかせてくれる 小鳥たちのことや、 

お日さまや お月さまや お星さまや 

うつりかわる季節のことについても、 

ダニエルは いろいろと 教えてくれました。
 
フレディは、 自分が葉っぱであることが だいすきでした。 

自分がいる枝も だいすきだったし、 

身がるな葉っぱの仲間たちも だいすきでした。

自分が空高くにいることも だいすきだったし、 

さわさわと からだをゆすってくれる風も だいすきでした。 

ぽかぽかと からだを温めてくれるお日さまの光も 

だいすきだったし、 ほんわかほの白い光で やさしくそっと

つつんでくれるお月さまも だいすきでした。
 
とりわけ すてきだったのは 夏でした。 

昼間(ひるま)の長い暑さも 心地よかったし、 

ほとぼりの残る夜の暑さも やすらかな 夢路(ゆめじ)へと 

いざなってくれました。
 
その夏には、 たくさんの人が 公園へやってきて、 

フレディのいる木の下に よくすわりました。 

ダニエルは フレディにいいました。

「この人たちの 日かげになってあげることも、 

いつかきみがたずねていた 生きる目標の一つになるんだよ」、と。
 
それはね、 いつだったかフレディが ダニエルに 
こうたずねたことが あったからなんだ。

「ぼくたちは いったいなにを目標にして 生きていったら 

いいんだろうね?」、って。
 

そのときダニエルは、 こう教えてくれたんだ。

「生きたあかしを しめすことだよ。

自分がこの世に生まれて 今ここにいることには 

ちゃんとした意味があるんだなって、 

そう思えるような 生きたあかしをね」、と。

そしてダニエルは さらにつづけて こういったんだ。

「なにか ほかの人のやくに立つようなことをして 

よろこんでもらえるのは、 生きたあかしになるんだよ。 

じぶんの家が あつくるしいからって この公園へのがれてきている

お年よりの人たちに 木かげをつくってあげることも、 

生きたあかしに なるんだよ。 この公園へきてあそべるようにと 

子供たちに 涼しい場所をつくってあげたり、 

この公園に チェック模様のテーブルかけをしいて 

その上で お弁当をたべようかなとやってきた ピクニックの人たちを 

ぼくらの葉っぱで あおいであげるのも、 

ぜんぶ 生きたあかしになるんだよ」、と。
 
フレディがとりわけすきなのは お年よりの人たちでした。 

みんなは、 ひんやりした草むらへ そっとすわると、 

もう ほとんど動こうともせずに、 昔の思い出話を
ささめき合っていました。
 

フレディは 子供たちも だいすきでした。
もっとも彼らはときどき、 フレディのいる木に穴をあけたり、 

自分の名前をほりこんだりする いたずらもしたけれど、 

それでもフレディは、 子供たちのすばしっこく走りまわる姿や 

大声で笑いころげる 元気なようすをながめていると、

とても楽しかったのでした。
 

けれども、 フレディのだいすきな夏は 見る間にすぎてゆきました。
 
そして 夏のなごりが すっかり消えたのは、 

十月の ある夜のことでした。 

いままでに出あったことのないような寒さが 

おそってきたのです。 

葉っぱはみんな 寒さにふるえました。 

白いものが うっすらと みんなのからだ一面を 

おおいました。 それは 朝日にあたると 

たちまちとけて しずくになって 葉っぱをぬらし、

きらきらと 輝きました。
 
こんどもまた、 あれこれと教えてくれたのは、

やはり ダニエルでした。 

みんなのからだにくっついたのは 初霜(はつしも)で、 

これは 秋になったしるしで、 やがて冬がくるよという 
しらせなのだ、 と。
 

ほとんど一瞬のうちに フレディのいる木は まるごと・・・・

おやおや、 よく見ると なんと公園ぜんたいが まるごと 

あざやかに 色づいているではありませんか。 もう、 緑色をした葉っぱなんて、

ほとんどどこにも 見当たりません。

アルフレッドは こい黄色に、 ベンは 明るいオレンジ色に、 

クレアは もえ立つような赤色に、 そしてダニエルは こい紫色にと 

それぞれ すっかり衣がえをしていました。 

そして フレディったら、 なんと  赤・青・金の三つの色で 

すっかり めかしこんでいるではありませんか。 

みんなは、 それはそれはほんとうに みごとなものでした。

なにしろ フレディとそのともだちは、 自分たちのいる木を 

まるで虹のように 染めかえてしまったほどですからね。
 
「ぼくたちは みんな同じ木にいるのに、 どうして 

ちがった色に なるのかな?」  

フレディには どうもふしぎでした。
 
「ぼくらはみんな、 それぞれ どこかがちがっているからだよ。

体験したことも 一人ひとりちがっているし、 

お日さまへの向き方も みんなまちまちだった。
ぼくらのつくる影だって 同じものは ひとつとしてなかっただろう。

だから、みんなそれぞれ 別々の色になったって、

ちっとも 不思議じゃないんだよ」  

ダニエルは 淡々と答えました。 そして、 

「このすばらしい季節は、 秋というんだよ」、と 

フレディに教えました。
 

ある日、 とてもおかしなことが おこりました。

いままで ダンスにさそってくれていたそよ風が、 

葉っぱのつけねを ぐさぐさと ゆさぶりはじめたのです。

まるで 八つ当たりをするみたいにね。 

そのために、 葉っぱのなかには 枝から引きちぎられて

風に舞い、 あちらへ投げられ、 こちらへほうり出されては

ふらふらと 地面に落ちていくものも でてきました。
 
葉っぱという葉っぱは みんな おびえだしました。
 
「いったい、 なにがおこっているんだろう?」

おたがいに ひそひそとたずね合いました。
 
「これは、 秋になるとおきることなんだよ」

みんなにこう教えたのは、 ダニエルでした。

「葉っぱのぼくらが すみかを変えるときが きたんだよ。 

なかにはこれを“葉っぱが死ぬときだ”なんていう人も

いるけどね」
 
「ぼくたちは、みんな死ぬの?」

フレディは もう びっくりぎょうてんです。
 
「そうだよ」、とダニエルが答えました。 「どんなものでも、

かならず 死ぬんだ。 どんなに大きくても 小さくても、

どんなに強くても 弱くてもね。 

ぼくらはまず、 自分のつとめをはたす。

お日さまの光をあびて、 お月さまの光につつまれる。 

風にふかれて、 雨に洗われる。 みんなでダンスをおぼえて、 

みんなで笑う。 そして 死んでいくんだよ」
 
「ぼくは 死なないぞ!」

フレディは きっぱりと言いました。

「きみは どうするの、 ダニエル?」
 
「ぼくは 死ぬよ。 そのときがきたらね」
 
「それは いつくるの?」

フレディは 気が気ではないようです。
 
「はっきりしたことは、 だれにも わからないんだ」

ダニエルは 答えました。
 
フレディは、 ほかの葉っぱがつぎつぎと散っていくのに気がついて、 
ふと思いました。 「きっとこれが 葉っぱの死ぬときなんだろうな」、と。

フレディが見ていると、 なかには けんめいに風にさからってはみたものの 

とうとうふき飛ばされてしまう葉っぱもあれば、

はじめから あっさり手をはなして 

だまって落ちていく葉っぱも ありました。 
 

やがて フレディのいる木には 葉っぱはほとんどなくなりました。
 
「ぼくは 死ぬのがこわいよ」

フレディは ダニエルに いいました。

「死んだあと どうなるのか わからないんだもの」
 
「フレディ。 ぼくらはだれだって、 よくわからないことは 

こわいと思うものなのさ。 あたりまえだよね」

ダニエルは、 フレディの気持ちをやわらげるように いいました。

「でもきみは、 春が夏になっても こわくはなかっただろう。

夏が秋になったときも そうだったよね。 

季節がかわるのは 自然のなりゆきなんだ。

だから、 いつの日か ぼくらが死ぬ季節というのが やってきたとしても 

こわがることなんか ないんだよ」
 
「ぼくたちがいるこの木も 死ぬのかな?」

フレディは たずねました。
 
「いつかはね。 でも、 この木より もっと強いものがあるよ。

それは いのちなんだ。 いのちは 永遠(とこしえ)につづくんだ。 
そして ぼくらはみんな その いのち の一部分っていう わけなのさ」
 

「ぼくたちは、 死んだら どこへ行くのかな?」
 
「はっきりしたことは だれにも わからないんだよ。

なにしろこれは 昔から、 とっても大きな なぞなんだから」
 
「ぼくたちは、 春になったら またここへ 

もどってこれるのかな?」
 
「ぼくらは だめかもしれないね。 でも、いのちはまた

もどってくるだろう」
 
「じゃあ なんのために こんなことが おこっているの?」

フレディは さらに たずねつづけました。

「ぼくたちは けっきょく、 落ち葉になって死んでいくだけだけだとしたら、
じゃあいったい なんのために この世に生まれてきたんだろう?」


 

ダニエルは、 いつものように 淡々と答えました。

「お日さまや お月さまだって、 生まれてきても いつかは 
消えていかなくっちゃ ならないんだ。 みんなで いっしょにすごす 

しあわせなひとときだって そうなんだ。

木かげや、 お年よりや、 子供たちだって、 そうなんだ。

秋のあのあざやかな色どりだって そうなんだ。

春、夏、秋、冬の季節だって、 そうなんだ。

どれもこれも、 昔からぜんぶ、 ずっとそうだったんだ。  

さあ、 これだけいうと もうわかっただろう」
 

その日の夕方、 金色の夕日をあびながら、
ダニエルは そっとしずかに 枝をはなれていきました。

そして 落ちる間じゅうもずっと、

おだやかにほほ笑んでいるように 見えました。 

「それじゃあ またね、フレディ」

ダニエルは そう言いました。
 

こうしてフレディは、 一人ぼっちになりました。

あの枝にのこっている たった一枚の葉っぱでした。
 
つぎの朝、 初雪がふりました。 やわらかで、おだやかで、

まっ白な雪でした。 でも、 なんと冷たいのでしょう。 

その日 お日さまはほとんど顔をださず、 早くから

日が暮れました。 フレディは、 自分のからだが色あせて、

もろくなっていることに 気づきました。 

気温は まったくあがらず、 フレディは 雪の重みを

ひしひしと感じました。
 
明け方に 風がふいて、 フレディはとうとう

枝から引きはなされて しまいました。 でも、 フレディは
ぜんぜん いたくはなかったのです。

フレディには、 自分のからだが すーっとういて、

それから ゆっくり ふわーっと 下に落ちていくのが 

自分でもわかりました。
 

落ちるとちゅうで フレディははじめて見たのです。
自分が生まれそだった木の、 そのまるごとの姿を。

なんとつよくて 丈夫そうなのでしょう。

「これならきっと、 うんと長生きしてくれるぞ」

フレディは そう思いました。 そして、 

「ぼくはやっぱり この木の一部分だったんだ」

そうわかると、 誇らしく思えてきたのでした。
 

フレディが舞い落ちた先は、 雪だまりの上でした。

そこは なぜだかやわらかくて、ぬくもりすら 

感じられました。 こんなに居ごこちのいいところは、

はじめてでした。
フレディは 目をとじると、

永遠(とわ)の眠りにつきました。

 

 

ところでフレディは、 冬のあとには春がきて、

雪がとけると水になるなんて、 ちっとも知らなかったのでした。

また、 まったくの役立たずのようにみえる 自分のひからびた

からだでも、 やがては土にかえって 水にとけ、 

自分が生まれそだったあの木を いっそうじょうぶにさせる 

役目をはたすのに、 そんなことも フレディはまったく 

知りませんでした。

ましてや、 自分がいた木や 地面の中では、 

春になったら 若葉をいっぱい芽ぶかせる準備が

すっかりととのっていて、 冬の間じゅう 

じっと静かに出番をまっていたなんて、 

フレディには とてもわかりっこなかったのでした。
 
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by marikology14 | 2011-06-16 18:57 | そのほか

これくしょん

いわゆるブランド物や、化粧品、ジュエリーなどに興味はないが・・・、しかし40も過ぎた「大人」としては、「ブランドに相応しい大人の女性」を目指さなければいけないのだよな・・・。そういえば、20代の頃に安井かずみさんの本を読んで、こんな風になりたいな、などと思ったっけ。カルティエの腕時計が似合う女性・・・。むーーー、いまだほど遠いなあ・・・。

さておき、しかし好きでつい集めてしまうものがある。
例えば、陶器。
でも、基本的に洋物よりも深川、香蘭社、源右衛門などが好きなため、幸いイギリスではモノが増えずにすんでいる。
あと、グリーティングカード。
先日街をウロウロしていてこんなのを見つけてしまった。一目ぼれ・・・。
Peter Crossというイギリス人画家のもの。
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よくみると、ハリネズミさんの一匹は鼻をほじってたりする。うーん、もうハートを射抜かれました。カワイイ・・・。
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そんなわけで、他の全種類「大人買い」。
こんなところで使ってよいのか「大人パワー」とも思ったが、かわいいものはしょうがない。ちなみに、この買い物中キューピーbabyには 「ったく、しょうがないマミーだよ」という目で見つめられていた。

More ご興味がある方は他のカードも見てみてください。
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by marikology14 | 2011-05-06 18:55 | そのほか

疾病と運転免許、まさかは誰にでも起こりうるもの

最近の日本のニュースで、「大型クレーン車が登校児童の列に突っ込み6人の子供が死亡した」というものがあった。当初、居眠り運転が原因とされていたが、真相は持病のてんかんの薬を飲み忘れたために意識消失発作を起こしたのだった。

てんかん薬を服薬中の人が大型クレーンを運転!?

と信じられない気持ちだった。
というのも、以前に受けたMRCP(Members of Royal College of Physician)の最終試験パート3(ちなみにこの試験は各専門分野に進むほとんどのドクターが受験する)では、「運転免許と疾病」というのは必須問題のうちの一つで、試験の想定シナリオの例としては、

「意識消失発作(てんかんを想定)を起こして入院中の患者と、退院後の生活について話し合いなさい。」

この場合、日常生活の注意点、例えば入浴(浴槽ではなくシャワー)、スポーツ(水泳や乗馬を避ける)などの他に、「職業」を問診しないとその試験ステーションではまず間違いなく落とされる。よくある試験のパターンでは、患者役の俳優が実はローリードライバーで、「免許がなきゃ家のローンも払えないし、仕事は続ける。俺は薬もしっかり飲むから大丈夫だ。」などと言い出すのであるが、ここでドクターはあくまでも説得しなくてはいけない。そして、もしもそれでも納得が得られない場合には、最終手段としてDVLAに通報しなくてはならないのだ。こういうやりとりはカルテ上にも記録として残るので、無視した場合の自動車事故の保険はおりないとか、生活が問題なら、行政から当面の無職の間の手当てが出る算段をつけるとか、会社に運転以外の事務職に変えてもらうよう依頼するレターを書くとか、本当にいろんな方向から患者を説得しなくてはいけないのである。

このイギリスの運転免許を統括するDVLA (Driver and Vehicle Licensing Agency)では明確にGroup2免許(大型免許、タクシーやバスなども含む)の場合、てんかんに関しては
「服薬を必要としない状態で最低10年間発作が起きていないこと」
の条件をクリアーしないと免許は発行されない。
Group1免許(普通免許)の基準はもう少し緩やかで、
「最低一年の免許停止。その後、服薬などの治療でコントロールが良好な場合に免許を再発行できる」
となっている。
このほか、DVLAのホームページには「疾病と免許」の項があって、「精神神経病(癲癇のほか、精神病、脳梗塞など)」、「心臓血管病(心筋梗塞、狭心症)」、「腎臓病」「糖尿病」「薬物・アルコール依存」などにつきそれぞれに免許の基準が明確に表示されている。

日本の場合・・・インターネットで調べようといろいろ検索を試みたが、明確に記されているページを見つけることができなかった!いくつかの県警察のページなどで、どうやら2001年までは精神神経病、てんかん、麻痺などの疾病がある場合免許は発行されなかったが、患者団体などの働きかけにより2002年の道路交通法の運転免許の失格事由が変更され、各病名が削除。変わって、「意識消失発作などの既往がある方」は「個別に審査される」という相対的欠格事由に変更になったらしいが、ではどんな基準で免許が与えられるのかなど全くもって不明。おそらくは、医療者(主治医)の判断になるのでしょうが、そんな判断ができるドクターがどれくらいいるのでしょうか?
今回の運転者は3年前にも運転中意識消失して歩道を歩いていた子供に重症を負わせたり、過去8年間で6件もの物損事故まで起こしていたそうです。一体どうして、警察も医療側もこの男が免許を保持していることを可能にさせたのか、考えるべきだと思います。

実は私も日本では医学生のときも、医者になってからも、患者さんの運転免許のことなんて考えたことがありませんでした。
こんな痛ましい事故が起こってからでは遅いに決まってますが、日本もしっかりとした法律を明確に作り、医療者も免許についての知識と、警察との連携をとるべきだと思います。プライバシー、差別の問題から「てんかん」などの病名が失格事由から削除されたそうですが、むしろ、いろいろな疾病について明確に基準をつくり周知することで、差別などというものをなくすようにすべきだと思います。

最近こんな痛ましいニュースのほかにも、2歳の男の子にパンを無理やり口に突っ込んで窒息死させた母親、家に幼子二人を残して両親揃ってパチンコに行き、家に帰ったら9ヶ月の赤ちゃんが死んでいた・・・なんてニュースが並んでいます。
震災・津波で2万5千もの命が「どうしようもなく」失われた同じ時期に、「絶対に救いようがあった」命が亡くなっていくのは本当に悔しくて悲しい気持ちになります。

「まさか・・・は誰にでも起こりうる」という想像力を持ち続けて、小さな、無抵抗な命を守らなければならないと思います。

(後記)
大学の先輩がこの記事を彼女のFBに書いてくださったところ、脳外科のドクター(てんかんの外科治療の専門の先生)から、日本でも運転免許の適正基準はきちんと定められているというご指摘をいただきました(日本てんかん学会関連資料http://square.umin.ac.jp/jes/index.html)。
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by marikology14 | 2011-05-02 22:30 | そのほか

モスリンスクエア プロジェクト

ロンドン在住のピアニストで、Leoとは2週間違いで生まれた男の子のママである松本さやかさんが、「モスリンスクエア プロジェクト」を立ち上げられました。3ヶ月ちょっとの赤ちゃんの子育てをしながらどうしてこんな行動力があるのか感心しきりですが、感心するばかりでは物事は進みませんので私も応援したいと思いました。

モスリンスクエアは私も愛用しておりますが、以下、さやかさんのブログからの説明文を転記します。

<モスリンスクエアプロジェクトって何?>
「モスリンスクエアプロジェクト」は、イギリスの万能子育て布「Muslin Square」を、被災地等の乳幼児のお母さん達へ届けようというプロジェクトです。

<モスリンスクエアって何?>
綿モスリンは、元々イギリスが発祥のコットン100%の平織りの布で、これを正方形にした「モスリンスクエア」はイギリスでは古くから乳幼児の子育て必須道具として使われています。
日本の赤ちゃん用ガーゼハンカチと比べるとかなり大きく、その分、用途がとても広いです。
生地はガーゼとは全く異なり、ふわふわというよりもサラサラとした手触りです。吸水性や通気性に優れ、洗濯した後も乾き易いです。

<モスリンスクエアの使い方は?>
—授乳や離乳食の際、赤ちゃんの口をふく
—はいてしまったミルクやおっぱい漏れなどをふく
ー赤ちゃんの鼻水やよだれ、汗、などをふく
—げっぷをさせる時に方にかける
—赤ちゃんの簡易シーツや薄手のおくるみ代わりとして
—授乳の際のめかくしとして(授乳ケープの代わり)
 その他、折り方次第で使い方は無限大です。

赤ちゃんはなんだかんだと体中至る所がベタベタになるものですが、あちこちふいても、面が広いのと、モスリン織りの性質上、ベトベトになりにくいです。
綿モスリンの性質上、洗濯すると上の写真のように縮んで細かいシワができますが、その分柔らかくなり吸水性も増し、使えば使う程使い易くなる魔法の布(本当です!)です。

<何故、被災地や避難所のお母さんに送るの?>
用途が広いため、ガーゼハンカチ、ティッシュ、タオルなどを別々に沢山持たなくても、これ一つでかなりの用途をカバーできます。
また、面が広くて全体が汚れにくいため、洗濯も少なくてよく、また乾き易いです。洗濯の機会などが限られている避難施設などでお母さん方が2、3枚持っているだけできっと役立つと思います。更に薄手の割に保温性があるので、寒い避難所で一枚これをプラスして赤ちゃんを包むだけでも保温の助けになるのではと思います。
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すでに被災地より500セットを超える要望が来ているそうです。
もちろん個人で対応するにはとても難しい状況かと思われます。
どうか、さやかさんのブログをまずご覧いただき、ご賛同いただけましたらば、是非ご協力をお願いしたいと思います。
http://www.borderlessmusic.com/official/diary/london.html

遠く離れたロンドンに住んでおり、通常の募金などはみなさまもう行われたと思いますが、このようなイギリスならではという物で、困難な中子育てをされている日本のお母さん方を少しでも応援できればとても嬉しいと思います。外でコーヒーを飲んだを思って、あるいは、ランチを食べたと思って、あるいは、一日働いたらこれくらいかな、と思ってご協力していただければ幸いです。
ちなみに、日本からも募金できるそうです!
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by marikology14 | 2011-04-08 03:20 | そのほか

ある看護師さんの記録

もう大震災のニュースは見ないようにしているのだが、毎日インターネットで読んでいる「ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com/home.html」で紹介されていた、とある看護師さん-今回壊滅的被害を受けた陸前高田に救護活動に行かれた-のブログを読んでしまった。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

読んでよかったと思う・・・

今回のような大地震はめったに起こらないことだとは思う(願う)けれども、考えてみれば、日本だけでなく、ニュージーランドや、インドネシアなどでも起こってきたこと。
そのとき私は今回のような気持ちでいただろうか?

未だに続く、アフガニスタンで命を落とす兵士、民間人の方たち。
そのとき私は今回のような気持ちでいただろうか?

毎日のように流れる交通事故、殺人事件、虐待のニュース。
そのとき私は今回のような気持ちでいただろうか?

毎日のように出会ってきた癌をはじめ、病気と闘っている方たち。
そのとき私は今回のような気持ちでいただろうか?
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by marikology14 | 2011-03-28 17:12 | そのほか

よりよく

よりよく、より強く、より優しくなっていく人が増えていくと思う。
多くの人がそれぞれの立場で、どうなっているのか? 何ができるのか? どう動くのか? と、考える時間を持っただろう。

この先まだまだ難しいこともそれぞれの人の人生に、国の将来にたくさんあるだろうけれど、美輪明宏さんのよく言う「人生正負の法則」によれば「最期はつじつまが合う」らしいので、今困難に直面している人はこの先の明るい未来を、今幸せな時期を送っている人はできるだけ他の人を思いやる、ということを心に留めてがんばってゆけばよい。

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by marikology14 | 2011-03-24 18:18 | そのほか

元気な人は、とにかく元気なままで・・・

大地震のあと、1-2日は津波の凄まじい映像ばかりで、むしろ現実ではないような、SF映画を見ているような感じだった。そして日が経つにつれ、数字ではなく、実際に被害の遭われたかたの映像・インタビューが次々に溢れ、じわじわと鉛が胸に詰まってくるような感覚がしてくる。
イギリスの新聞各紙、地震・津波・原発の写真で溢れているが、そんな中にも

仙台市でこんな状況の中にも出勤する会社員の写真。
日本人の復興への決意の表れ、紹介されている。
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そして、瓦礫の下で3日間生き抜いていた赤ちゃんの写真。
Tiny Miracle
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うちにもいつも元気な人がいますから、私も元気なままでいようと思います。
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イギリス赤十字社のJapan Tsunami Appealへのオンライン寄付サイト。
http://www.redcross.org.uk/Donate-Now/Make-a-single-donation/Japan-Tsunami-Appeal
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by marikology14 | 2011-03-16 20:27 | そのほか

日本の大地震

日本の大地震のニュースはここイギリスBBC放送でも連日トップニュースとなって報道されている。英国救助隊も日本に向かっているそうだ。私も友人・知人に教えてもらった日本のテレビニュースがみれるインターネットサイトを見ていたが、あまりの惨状にとても現実とは信じられないような気持ちで、言葉もでない・・・。
でも実際に起こった、そして今もまだ進行中の大惨事なのだ。
津波から命からがら歩道橋の上まで逃げてきたずぶ濡れのお母さんと赤ちゃんを周囲の人たちがまわりを囲んでとにかく温めようとしていた話など特に今は胸を打つ。

遠く離れたロンドンで今は実際的なことは何もできないけれども、せめても、一人でも多くの方々の無事と安心を、温かく眠れる場所を、ほっとする飲食料を、再会の喜びを、いつの日か悲しみを乗りこえられる日を、祈っている。

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by marikology14 | 2011-03-13 16:55 | そのほか

にゅ~Bathroom

f0221040_2232898.jpg(この写真は古いバスルーム)
昨日ようやく浴室の改装工事が終わった。
その間約2週間、家でトドのように(でっかいお腹でソファーに寝っころがって)テレビなど見ながら過ごしていたが、毎日同じ番組でさすがに飽きた・・・。

その中に、「Cowboy Trap」という番組があって、家や浴室、キッチンの増改築工事でひどい業者にあたって酷い目にあった人のお助け番組があって興味深くみた。
お金を先払いしてしまったためにその後業者がとんずらしたり、2ヶ月で終わるという契約だったのになんだかんだど1年も終わらずに費用だけは請求されたり、工事は終わったもののずさん工事でその後雨漏りや配水管があふれたり、電気配線が危険な状態で放置された例、などなど。

うむむむ。
今、うちの浴室工事をしている業者は大丈夫かしら・・・。

f0221040_2253350.jpgメインに仕事をしていたのは、Paulという30歳前半くらいの感じのよいお兄さん(+助手っぽいMathewという若者)。自分でこの小さなキッチン&浴室工事の会社を運営しているっぽかった。ま、もともと頼んだ材料インテリアショップの推薦だから大丈夫だろうとは思ってはいたけれども、毎日朝8時にきっかりやってきてきっちり2週間で終わってくれた。
電気配線の日は、別のメガネをかけた賢そうなお兄さん(電気技師)がやってきて仕事をし、タイル張りの日は、イタリア~ノのおじさん2人がやってきてきれいに張ってくれた。

そんなわけで無事終了。お金も払い、よかったよかった。

と、思ったら、キューピー王子がシャワーを使ったら、お湯は出るけど水がでない、つまり温度調節に問題があることに気づき翌日の今日電話してみた。そしたらすぐ来てくれて、温度調節バルブのネジを調節してくれた。しきりに「チェックしたはずなんだけどスミマセン」と謝っていて、なんだかイギリス人らしからぬ(笑)対応にこちらまで恐縮してしまった。なんたって私は イギリス人は余分な遺伝子、名づけて「Making excuse gene」を持っていると日ごろから思っているのである。

帰り際にbabyの話などになり、聞けばこのPaul君、すでに2人の男の子と女の子1人のパパとのこと。「子供たちは学校で一生懸命やってますよ。将来、ドクターが歯医者になったらいいな~と思って」だそうです。
よいパパなんだろうなあ~とウレシクなった。

写真はもとの浴室と新しく改装した浴室。
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by marikology14 | 2010-11-06 02:25 | そのほか

うつりかわり

昨日は専業主婦生活2日目(バスルームの工事は明日から始まる予定)。
日本で働いていたときの恩師がたまたまロンドンでの会議出席で来英中だったので久しぶりにお会いしてきた。相変わらずお元気そうで(走り続けていないと倒れそうなタイプ?笑)、大学のこと、教室の近況などなどいろいろと伺った。また聞けば最近「おじいちゃん」にもなられたそうで、嬉しそうであった。

思えば、5年前のちょうど今ごろ日本を飛び出してイギリスに来たのだが、「もう5年も経つのか~」などとGreen Parkのベンチに座ってケーキをほおばりながら話をした。気持ちよく晴れた日であったが、気温はきりりと秋の気配でプラタナスの大木の葉も黄色に色づきチラホラと風に舞っていた。

時間というのは本当にすっかり当たり前に経つもんだ・・・などと思いつつ、サヨナラしたあともいろいろと昔のことなど懐かしく思い出していた。

6年前に教室誌の原稿に書いた文章が残っていたので、載せておきます。

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なみだとわらい            
                               

どういうわけか最近涙もろいような気がする。

映画や本は危険だ。
最近観た中国映画は、日頃ついシニカルすぎる思考に陥りがちの私には、その純粋さや素直さがとても眩しかった。そういえばまだ素直だった大学生の頃、好きな映画は?と聞かれると迷わず(インドの)「ガンジー」と答えてけれど、それはそれで怪訝な顔をされたなあ。

テレビで思い出に残っているのは、「徹子の部屋」に糸川英夫さんが出演していたとき、この先生は日本のロケットの父といわれだほどの航空専門家なのだが、確か何十年もかけて作った特別なバイオリンの話や、戦後からの精神的な立ち直りの話をしていて、そのひたむきな努力と誠実さにとても心が打たれた。大学の授業もサボりがちであまりにも日々ボーっとしていた自分が恥ずかしくなったことをよく憶えている。

思えば病院も危険な場所である。
もちろん「泣く」ような場面をできるだけつくらないようにするのが仕事であるけれど、避けて通れないこともある。医者になって3年目、患者さんや家族に一人でムンテラをするようになる頃だ。進行乳癌で胸水が溜まっていることや、大腿骨が骨折していることを患者さんの娘さんに説明していたとき、それまでにも何度か説明していたのだけれど、その度にまるで汗でもかくかのように娘さんの目から涙がこぼれていた。その時は「変わった泣き方だなあ。こういう泣き方もあるのかな。」とよくわからなかったけれど、今はわかるような気がする。

2外科と国際ヒバクシャ医療センターで診させていただいた進行甲状腺癌の女性は、80歳をとうに過ぎているにもかかわらず、病室にいくと「これもってけー」とみかんや、お饅頭、年末には甘酒をもって追いかけてくるくらい元気な方だった。最期のころ、動けなくなってずっと寝ていたとき、お饅頭が食べたいというので持ってはいったけれど、誤嚥されるのが心配で、すごく小さなカケラにして食べさせようとしたらギロッとにらまれて、元気だった頃のようにニヤッとされた。亡くなったとき、養子縁組されていた息子さんから、「原爆のあと、教会には全然通っていなかった母でしたけど、最期に浦上教会で洗礼を受けたんですよ。名前は何になった?と聞いたら、「アリナミン」ですって。で、お前は「リポビタン」にしろって言うんですよ。」というお話を伺った。

笑ってしまった。


黄金の魚 谷川俊太郎  『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社)より

   おおきなさかなはおおきなくちで
   ちゅうくらいのさかなをたべ
   ちゅうくらいのさかなは
   ちいさなさかなをたべ
   ちいさなさかなは
   もっとちいさな
   さかなをたべ
   いのちはいのちをいけにえとして
   ひかりかがやく

   しあわせはふしあわせをやしないとして
   はなひらく

   どんなよろこびのふかいうみにも
   ひとつぶのなみだが
   とけていないということはない
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by marikology14 | 2010-10-20 16:34 | そのほか

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