はじめましてのメリークリスマス
おかげさまで 無事に 産まれました。
予定日前日12月23日の検診では、「まだ産まれなさそう」とのことで、クリスマスの4連休明けに誘発分娩をする予約をとって帰宅した。しかし翌24日、晴れて雪景色がきれいだったのでキューピー王子とのん気に散歩なんかしていたのだが、午後から何となく下腹部の鈍痛が始まる。いわゆる「前駆陣痛」というやつでそのうち収まるだろうと思っていた。そしたら、夜の20時にいきなり破水。病院に電話して行ったところ、「痛み(陣痛)もまだ(!!!)5分間隔だし、babyの心音も問題ないので陣痛が3分間隔(冗談でしょう?)になったらまた来てね」と言われて帰宅。
家に帰って、とりあえず寝よう・・・とベットに入ったが、そうこうするうち痛みが尋常じゃなくなってくる。これが世に言う「陣痛」の痛みなのか!!と半ば感心しながらも身悶えつつ、深夜0時にはもう我慢の限界の3分間隔。這うようにして病院に戻った。
担当になってくれたMidwife(助産婦さん)の診察を受けると、「まだ子宮口も3cmしか開いてないから、まだまだね~」とのこと。痛みに関しては笑気ガスを使っていたが、もう本当に・・・・・きつかった・・・・言葉ではイイアラワセマセン。もちろんこの間胎児心拍と陣痛がモニターされていたが、明け方4時ごろ陣痛に伴っておこる胎児心拍低下の戻りがちょっと心配とのことで、産科のドクターが呼ばれる。心拍は大丈夫とのことだが、子宮口も5cmと進行してきて、痛みも強いのでここでエピ(硬膜外麻酔)をしようということになり、明け方4時という時間にも関わらず、当直の麻酔科ドクターが来てサクッと硬膜外チューブを入れてくれた。この後は、痛みは「鈍痛・圧迫感」くらいに軽減して本当に助かった。そうこうするうち、5時半頃にMidwifeが「子宮口がようやく全開大になってきたのであとちょっとしたら最後のプッシュをするわよ」ということになった。
最後のプッシュ(いきみ)をMidwifeの掛け声にしたがって必死で行うも、なかなかキューピーbabyは出て来ず・・・。硬膜外麻酔も切れてきて、再び死にそうな痛みになりながら2時間以上トライするも出て来れず・・・。朝8時過ぎ、この段階でちょうど当直チームが入れ替わって産科ドクターが診察にやってきた。
「babyの耳は触るけど、頭が回旋できずにいるようなのでこのままでは無理でしょう。緊急で手術室に搬送して、まずは用手的に回旋できるかやってみて鉗子分娩、あるいは緊急帝王切開になります」
あとは、もうまな板の鯉。まるでドラマのようにあれよあれよという間に10分後には手術室に運ばれてたくさんのスタッフに囲まれていた。帝王切開に備えて硬膜外麻酔もバリバリに効かせられて処置が始まる。
産科ドクターの「どうにか頭が回ったのであとはエンジンとしてあなたのプッシュ(いきみ)が必要」とのことで、麻酔で感覚なんてまるでないのだけれども、モニター上とお腹の上に添えられたMidwifeの手の感覚に従って、陣痛のタイミングでとにかくイキム&イキム&イキム、次の波でもまたイキム&イキム&イキム・・・。
「頭が出てきた。もうちょっとだ!!」
ウーーーーーーーーーーン。
「オギャア」
無事に産まれた、と聞いた。
臍の緒は手術にも立ち会っていたキューピー王子が切った。小児科ドクターのチェックも問題なし。
手術台の上に乗ったまま、信じられない気持ちでbabyと対面。そのときの気持ちは・・・・今もって思い出せません。いつも変な冗談ばかり言っているキューピー王子の目もちょっとウルウルしているように見えた。
難しいお産で(+高齢初妊婦ということもあるでしょう)鉗子分娩でもあり、会陰裂傷3度とのことでその後縫合処置を受けた。失禁の可能性があるので産後はPelvic muscle exerciseをするようにとのことだった。しかし何よりも何よりも何よりも、キューピーbabyが無事に五体満足に産まれて本当によかった。
その後病室に戻り、もちろんキューピーbabyも一緒。麻酔の影響と、かなり出血もしたとのことで(あとでカウント上は2リットルと聞いてビックリ。Hbも8まで下がった)ブルブル震えてはいたが、元気だった。キューピーbabyもフニャフニャではあったけれども隣のコットですやすや寝ていた。
夕方麻酔が切れたころから、痛みを感じる。鎮痛剤のDiclofenacとParacetamolの内服でどうにか対処。翌日には尿カテーテルも外されて歩くようにとのことでトイレにも行ったのだが・・・・尿失禁が始まった。まだ、排便はしていないけど、尿も便も失禁しながらこのまま社会生活をしていくのかと思うと、正直・・・出産したばっかりに・・・と、一瞬でも思ってしまった自分が情けなかった。キューピーbabyは一所懸命飲もうとして必死で頑張ってくれているのに母乳も出ていないようで、この先どうなるんだろう・・・と眠れなかった。
27日の退院予定日、新生児チェックにきたナースが、「ちょっと黄色い(黄疸)ように見えるわね」とのことで血液検査を行うことに。結果、光線療法が必要なレベルとわかり、Postnatal(産後)ユニットから、母子共にTransitional Unitに移り治療が始まる。キューピーbabyは私のベットの横で緑色の光線源ブランケットを背中側から当てられて眠っていた。
翌日の血液検査でビリルビンレベルが一時的にまた上がったりして追加で頭上からも青い光線をダブルで当てられるキューピーbabyを見ていて正直泣けてきた。また治療の一環として、ミルクを3時間ごとに最低限の規定量を飲まさなければいけなくなり(胆汁の排泄を促すため)、選択の余地なくformula milkを押し込むようにたくさん飲まさなくてはいけなかった。
その翌日のビリルビンレベルは下がり、光線源ブランケット単独治療に戻る。私の方の体調は、もうこうなったらなるようになる、キューピーbabyの無事が何よりも大切なんだというわりきりのような気持ちの整理がついてきた。Midwife、ナースたちも親切で(国籍により表現の仕方は様々でしたが)、あるMidwifeなどはキューピーbabyを見るなり「この子、赤ちゃんなのにもう禿げてるわ~」と、キューピー王子の生え際のラインをそのまま受け継いだキューピーbabyを見るなり笑っていた。また、多かれ少なかれ、尿失禁症状というのは経膣分娩の場合起こるそうで(会陰周囲の組織という組織(神経も)伸び切るため)、気がつけば私の症状も少しずつ改善してきた。しかし、会陰裂傷3度、つまり肛門括約筋まで裂傷が及んでいたので排便機能に関しては確実にリハビリが必要なことも、そしてその効果が期待できることもわかり(私の場合、3度bの状態だったそうで、つまり外肛門括約筋にまで裂傷が及んだが、内括約筋は保たれている)ポジティブな方向に見ることができるようになった。
思えば、わたしの裂傷がなかったら普通に翌日退院させられていて、キューピーbabyの黄疸の治療が大幅に遅れただろうし、キューピーbabyの黄疸がなかったら、継続して入院させてもらったまま私の症状のサポートを受けられなかっただろうし、お互いになんというか、補い合っていたのかもな、と思うようになってきた。
そんなこんなで、年越しはキューピーbabyと二人病室で迎えた。
そして、めでたく2011年1月1日、退院となり3人で我が家に戻って来ました。
新参者は、2010年12月25日クリスマスの朝9時13分に 3665g、58cmで産まれました。名前は、「Leo 栄太郎」と申します。
ご心配、励ましていただきまして、本当に心より御礼申し上げます。
新しい年とともに、新たな日々が始まりました。
みなさまにとってもこの2011年が素晴らしい年をなりますようにお祈り申し上げます。
森下真理子
(おまけ)
「クリスマス産まれのベビー」、ということで地域新聞に載りました。
予定日前日12月23日の検診では、「まだ産まれなさそう」とのことで、クリスマスの4連休明けに誘発分娩をする予約をとって帰宅した。しかし翌24日、晴れて雪景色がきれいだったのでキューピー王子とのん気に散歩なんかしていたのだが、午後から何となく下腹部の鈍痛が始まる。いわゆる「前駆陣痛」というやつでそのうち収まるだろうと思っていた。そしたら、夜の20時にいきなり破水。病院に電話して行ったところ、「痛み(陣痛)もまだ(!!!)5分間隔だし、babyの心音も問題ないので陣痛が3分間隔(冗談でしょう?)になったらまた来てね」と言われて帰宅。
家に帰って、とりあえず寝よう・・・とベットに入ったが、そうこうするうち痛みが尋常じゃなくなってくる。これが世に言う「陣痛」の痛みなのか!!と半ば感心しながらも身悶えつつ、深夜0時にはもう我慢の限界の3分間隔。這うようにして病院に戻った。
担当になってくれたMidwife(助産婦さん)の診察を受けると、「まだ子宮口も3cmしか開いてないから、まだまだね~」とのこと。痛みに関しては笑気ガスを使っていたが、もう本当に・・・・・きつかった・・・・言葉ではイイアラワセマセン。もちろんこの間胎児心拍と陣痛がモニターされていたが、明け方4時ごろ陣痛に伴っておこる胎児心拍低下の戻りがちょっと心配とのことで、産科のドクターが呼ばれる。心拍は大丈夫とのことだが、子宮口も5cmと進行してきて、痛みも強いのでここでエピ(硬膜外麻酔)をしようということになり、明け方4時という時間にも関わらず、当直の麻酔科ドクターが来てサクッと硬膜外チューブを入れてくれた。この後は、痛みは「鈍痛・圧迫感」くらいに軽減して本当に助かった。そうこうするうち、5時半頃にMidwifeが「子宮口がようやく全開大になってきたのであとちょっとしたら最後のプッシュをするわよ」ということになった。
最後のプッシュ(いきみ)をMidwifeの掛け声にしたがって必死で行うも、なかなかキューピーbabyは出て来ず・・・。硬膜外麻酔も切れてきて、再び死にそうな痛みになりながら2時間以上トライするも出て来れず・・・。朝8時過ぎ、この段階でちょうど当直チームが入れ替わって産科ドクターが診察にやってきた。
「babyの耳は触るけど、頭が回旋できずにいるようなのでこのままでは無理でしょう。緊急で手術室に搬送して、まずは用手的に回旋できるかやってみて鉗子分娩、あるいは緊急帝王切開になります」
あとは、もうまな板の鯉。まるでドラマのようにあれよあれよという間に10分後には手術室に運ばれてたくさんのスタッフに囲まれていた。帝王切開に備えて硬膜外麻酔もバリバリに効かせられて処置が始まる。
産科ドクターの「どうにか頭が回ったのであとはエンジンとしてあなたのプッシュ(いきみ)が必要」とのことで、麻酔で感覚なんてまるでないのだけれども、モニター上とお腹の上に添えられたMidwifeの手の感覚に従って、陣痛のタイミングでとにかくイキム&イキム&イキム、次の波でもまたイキム&イキム&イキム・・・。
「頭が出てきた。もうちょっとだ!!」
ウーーーーーーーーーーン。
「オギャア」
無事に産まれた、と聞いた。
臍の緒は手術にも立ち会っていたキューピー王子が切った。小児科ドクターのチェックも問題なし。
手術台の上に乗ったまま、信じられない気持ちでbabyと対面。そのときの気持ちは・・・・今もって思い出せません。いつも変な冗談ばかり言っているキューピー王子の目もちょっとウルウルしているように見えた。
難しいお産で(+高齢初妊婦ということもあるでしょう)鉗子分娩でもあり、会陰裂傷3度とのことでその後縫合処置を受けた。失禁の可能性があるので産後はPelvic muscle exerciseをするようにとのことだった。しかし何よりも何よりも何よりも、キューピーbabyが無事に五体満足に産まれて本当によかった。
その後病室に戻り、もちろんキューピーbabyも一緒。麻酔の影響と、かなり出血もしたとのことで(あとでカウント上は2リットルと聞いてビックリ。Hbも8まで下がった)ブルブル震えてはいたが、元気だった。キューピーbabyもフニャフニャではあったけれども隣のコットですやすや寝ていた。
夕方麻酔が切れたころから、痛みを感じる。鎮痛剤のDiclofenacとParacetamolの内服でどうにか対処。翌日には尿カテーテルも外されて歩くようにとのことでトイレにも行ったのだが・・・・尿失禁が始まった。まだ、排便はしていないけど、尿も便も失禁しながらこのまま社会生活をしていくのかと思うと、正直・・・出産したばっかりに・・・と、一瞬でも思ってしまった自分が情けなかった。キューピーbabyは一所懸命飲もうとして必死で頑張ってくれているのに母乳も出ていないようで、この先どうなるんだろう・・・と眠れなかった。
27日の退院予定日、新生児チェックにきたナースが、「ちょっと黄色い(黄疸)ように見えるわね」とのことで血液検査を行うことに。結果、光線療法が必要なレベルとわかり、Postnatal(産後)ユニットから、母子共にTransitional Unitに移り治療が始まる。キューピーbabyは私のベットの横で緑色の光線源ブランケットを背中側から当てられて眠っていた。
翌日の血液検査でビリルビンレベルが一時的にまた上がったりして追加で頭上からも青い光線をダブルで当てられるキューピーbabyを見ていて正直泣けてきた。また治療の一環として、ミルクを3時間ごとに最低限の規定量を飲まさなければいけなくなり(胆汁の排泄を促すため)、選択の余地なくformula milkを押し込むようにたくさん飲まさなくてはいけなかった。
その翌日のビリルビンレベルは下がり、光線源ブランケット単独治療に戻る。私の方の体調は、もうこうなったらなるようになる、キューピーbabyの無事が何よりも大切なんだというわりきりのような気持ちの整理がついてきた。Midwife、ナースたちも親切で(国籍により表現の仕方は様々でしたが)、あるMidwifeなどはキューピーbabyを見るなり「この子、赤ちゃんなのにもう禿げてるわ~」と、キューピー王子の生え際のラインをそのまま受け継いだキューピーbabyを見るなり笑っていた。また、多かれ少なかれ、尿失禁症状というのは経膣分娩の場合起こるそうで(会陰周囲の組織という組織(神経も)伸び切るため)、気がつけば私の症状も少しずつ改善してきた。しかし、会陰裂傷3度、つまり肛門括約筋まで裂傷が及んでいたので排便機能に関しては確実にリハビリが必要なことも、そしてその効果が期待できることもわかり(私の場合、3度bの状態だったそうで、つまり外肛門括約筋にまで裂傷が及んだが、内括約筋は保たれている)ポジティブな方向に見ることができるようになった。
思えば、わたしの裂傷がなかったら普通に翌日退院させられていて、キューピーbabyの黄疸の治療が大幅に遅れただろうし、キューピーbabyの黄疸がなかったら、継続して入院させてもらったまま私の症状のサポートを受けられなかっただろうし、お互いになんというか、補い合っていたのかもな、と思うようになってきた。
そんなこんなで、年越しはキューピーbabyと二人病室で迎えた。
そして、めでたく2011年1月1日、退院となり3人で我が家に戻って来ました。
新参者は、2010年12月25日クリスマスの朝9時13分に 3665g、58cmで産まれました。名前は、「Leo 栄太郎」と申します。
ご心配、励ましていただきまして、本当に心より御礼申し上げます。
新しい年とともに、新たな日々が始まりました。
みなさまにとってもこの2011年が素晴らしい年をなりますようにお祈り申し上げます。
森下真理子
(おまけ)
「クリスマス産まれのベビー」、ということで地域新聞に載りました。
by marikology14
| 2011-01-03 06:03
| キューピーbaby
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